ページ

2014年10月20日月曜日

水泳部ピタゴラスイッチ

長男が属する中学校の部活は水泳で、中学2年の長男を含める7人はみんなとても仲良し。部活後や週末にほとんど全員で遊んでいる。

みんなで、ピタゴラスイッチの装置を作って、ビデオにとって、秋の中学校文化祭で披露しようと、夏休みから制作活動をしていた。

ピタゴラスイッチの本をみんなでお金を出し合い買って、道具もホームセンターや100円ショップでこれまたみんなで買いそろい、夏の暑いさなか、部活が終わった午後に、
長い棒やら、段ボールやら、いろいろ抱えたみんなが自転車に乗って、うちに来たりしていた。私は彼らが大好きで、長男もいい友達に恵まれたなあと嬉しかった。

そして、夏休みの最終日、水泳部顧問の協力で、中学校の木工室を借りて、木の加工とかをして、仕上げたらしい。

久しぶりに今日、そういわれれば、文化祭でピタゴラスイッチやるの?と聞いてみると
長男が言いにくそうに「やるの、やめた。みんなで、出来上がった映像を見たら、
思ったより、大したことなかったから」と。

私も残念だなと思っていたら、長男が
「でも、楽しかったから、別にいいんだ」と笑顔で続けた。

私はその長男の顔を見て、「そうだね。思ったよりしょぼかったんだ。」と言ってみた。
そして、そうだよ、結果はどうであれ、みんなで何日間もかけて、自転車で集まって、
作り上げたものは、みんなの思い出として一生残る。楽しかったなら、それでいいんだ。
長男の言う通りなんだ。

幻に終わってしまって、水泳部以外のみんなは知らない幻のピタゴラスイッチ。
せめて、私の記憶とこのブログに刻み込みたいと書きました。

2014年10月19日日曜日

ダブルワークです

安い時給のコンビニは、3ヶ月でとっとと辞めて、週に2日の医療事務を見つけた。しかも、時給1000円で、初心者オッケー。

毎週水曜日の研究補助とのWワーク生活もはや4ヶ月を過ぎようとしている。

とっても楽しい。休みがちどけど、バレーも続けてるし、医療事務も休日救急診療後の事務だから、患者なしのお気楽仕事。

おもしろいおばさんとおしゃべりしながら、やっている。

仕事って楽しいなとつくづく思う。パソコンも私ごときくらいは、沢山いると思っていたけど、田舎だからか、ほとんど出来ない人もいるんだね。

やっぱり、独身時代10年間、働いてたことが、色々役に立ったわ。

2014年10月16日木曜日

先生ありがとう

今日は、定期的に行っている病院の診察でした。
大病をしてから、4年と3ヶ月。

いつも通り、触診してもらって、「○○さんは、最初に会ってから変わらないね」と
先生が言ったので、どういうことですか?と聞き返すと、「ほら、中には、太ったり
変わってしまう人もいるからね。あれから、もう4年と3ヶ月が過ぎたんだね。早いね」と話していたら、突然、
「僕、異動することになってね」と。
私は診察室だと言うのに、大きな声で「嘘ですよねー。えー、本当ですか?」と
言いながら頭の中で整理していた。
確かに先生はいつかは異動してしまうだろうとは思っていた。
とうとう、その時が来たんだ。
そうだ、異動先が近かったら、そっちに私も通えばいいかと思い始めていると、
見透かされたようなタイミングで先生が、
「栃木なんだよ。近かったら良かったけど、遠いからね」と。
もう、そのあたりから、涙がポロポロ出た。
告知された時からの色々なことが、なんか混ざり合って、頭の中がいっぱいになって。

そして、色々考えて、諦めて、「先生、ありがとうございました。お体に気をつけて、
頑張ってください」と何回か言った。
他にも色々と言いたかったけれど、言葉には出てこなかった。

最後まで診てもらいたかったけれど仕方ない。
医者という仕事は、本当に、人を救うという崇高な意思があってこそ、続けられる職業なんだと改めて思った。先生、栃木と言う後進県で、私みたいな人を救ってあげてください。

大病をわずらって、出会った、ほんとは会いたくない出会いだったけど、先生も四国の出身でなぜか愛知県へ就職して、私も結婚してなぜか愛知県に来てしまって、大病して
会った出会いだったけど、別れると知って、こんなに泣ける人は今までいなかった。
先生ともう会えないと考えるだけで涙が出てくるようなことは今までなかった。

それくらい、この闘病はやはり大変なものだった。そして、その闘病にはいつも先生がいてくれた。先生、ありがとう。